院長ブログ

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2021.07.25

かつて横浜にあった競馬場

横浜ユナイトクリニックのHPをご覧いただき、ありがとうございます。

関東にある中央競馬の競馬場は東京競馬場、中山競馬場がおなじみですが、かつて横浜に競馬場があったことはご存知でしょうか。名前を根岸競馬場(1937年より横浜競馬場に改称)と言い、1866年から1943年まで存在していました。開設のきっかけは、幕末期までさかのぼります。

ペリー来航後、外国人居留地として選ばれた横浜において1862年、薩摩藩士がイギリス人数名を殺傷する「生麦事件」が発生します。この事件の江戸幕府による賠償の一環として、競馬場の開設と居留外国人による委員会への委託が定められ、1866年、イギリス駐屯軍将校らの設計・監督によって日本初の洋式競馬場「根岸競馬場」が開設。翌年から競馬が開催されるようになりました。

当初居留外国人による「横濱レース倶樂部」が主催となって競馬が行われていましたが、財政難等から継続が困難となり、1880年「日本レース・クラブ」が設立され、日本人も会員として加わるようになりました。

その後根岸競馬場は「政財界要人の社交場」という機能を担うようになり全盛期を迎えます。明治天皇から御賞典が下賜された競走「Mikado’s Vase」が始まったのは1880年。この競争は1905年に「The Emperor’s Cup(エンペラーズカップ、のちの帝室御賞典)」と名を変え、現在春と秋に行われているGⅠレース「天皇賞」の前身となりました。

その後馬券発売の禁止(19071923年…競馬法成立に伴い馬券発売公認)、競馬法改正からの横浜競馬場への名称変更(1937年)を経て横浜競馬場は成長を続けていましたが、第二次世界大戦が開戦すると1943年、横浜競馬場は海軍省に接収され、76年にわたる競馬開催に終止符が打たれました。

戦後横浜競馬場は進駐してきたアメリカ軍によって接収されます。その後しばらく内部はアメリカ軍の施設として利用される状況が続き、一部接収の解除は1964年、横浜競馬場の敷地の大部分が日本中央競馬会の所有に戻ったのは1973年でした。しかしすでに近隣の土地が住宅化していたこと、すでに他の競馬場の大型化、近代化が進んでいたことも相まって、競馬場として再び使われることはありませんでした。その後は公園として整備が進み、日本中央競馬会によって整備された「根岸競馬記念公苑」および「馬の博物館」が設けられました。

現在横浜競馬場の施設は「一等馬見所」が残るのみ。こちらも老朽化が著しく、立入禁止となっていますが、日本と競馬の歴史を今に伝え続けています。

横浜にお越しの際は横浜ユナイトクリニックにもご来院下さい。

スタッフ一同心よりお待ちしております。

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